平成21年度出発式 
〜新たな目標に向かって〜
ミヤギユースセンターでは、入学当初の目的を見事達成し、卒業生を送る会を出発式といいます。
目標は生徒によって様々です。高校入学、高校卒業、高卒認定試験合格、大学合格、就職など・・・

出発おめでとう
!!







  

 
入学する頃は不登校だったり、高校辞めてしまったり、精神的に落ち込んでいたりと、家族ともども苦しんでいたのが、遠い昔のようですね。

出発生一人ひとりに、代表から修了書と記念品が渡されます。


保護者と生徒の目標達成の時でもあります。

もうひとつの卒業式ー出発式[2009年03月08日(日)]

 英語と時々数学でお手伝いさせていただいているMYC(T氏代表)にて、今日"出発式"があった。ここでは、不登校だった彼らの卒業式を、これから新たな進路に踏み出す意味で出発式と名付けているのだ。素敵な命名だと思う。お手伝いをはじめてから数年になるが、徐々にじっくりとつきあうようになってきたこどもたちが増えていたので、私にも今回の式は感無量であった。
 実際初めて彼らと接したときは、内心あせったものだった…スーパーサイヤジン!?(ふるっ…)と思えるような金髪のツンツンさせた髪に、ジャラジャラ鎖をさげている、まさに絵に描いたような不登校生だったH。眼をみてくれず、ニコリともしない、感情をどこかへ置き忘れたかのようなMちゃんなどなどが、それも一人や二人ではないのだ。それを束ねて指導するT先生のエネルギーと熱意と気配り目配りは尊敬と感嘆・驚嘆に値する。ここでの目的は、彼らに、このまま人生に後ろ向きにただ生きるのではなく、一歩踏み出してもらうこと…具体的には、高卒資格などをきちんととらせて、新しい人生の一歩をふみださせることである。私ごときにできることがあるのか?と最初はまるきり自信がなかったが、徐々にわかってきたことは、彼らは一様に自分に自信がないということ。なら私は私の立場で、できることをやってみよう。それで自分に課したことは、彼らの行動や言動に驚いても決して嫌な顔をしたり逃げたりしないこと。そして、何があってもひとりひとりと眼をあわせて、きちんと対話をしようということであった。そうしているうちに、徐々に彼らの眼に見える姿と本質との違いが見えてきた…ような気がした。
 不登校といっても、決してさぼった結果のドロップアウトだけが原因ではない。もちろんそういう面もないとは言えないが、少なからずあるのは学校内学級内での様々な形でのいじめ。さらにそれに加えて両親の離婚だったり、家庭内での虐待にも等しい状況だったり、その結果の自傷行為だったり、心の病だったりするのだ。たぶんそういう自分を、彼ら自身が受け容れられなくて、自信がもてないでいるのだろうと思う。でも、T先生はじめ、お手伝いにきてくれるボランティアの学生たちや私のような何人かの大人たちが、そういう彼らを決して腫れ物扱いしたり特別視したりせずに、ごくあたりまえに、でもとても細やかにじっくりひとりひとりとつきあっていくことで、彼ら自身の中に、居場所はあるんだという想いや安心感が生まれるのだろう。最初は外出や習慣的に通ってくることさえままならなかった彼らが、ここを卒業する頃にはバイトできるようになったり、中には専門学校や大学合格の切符までを手にしここを出発していく。生きていてよかったね、これからもっともっと楽しいことやうれしいことに巡りあうよ、と、心の底から素直に彼らに語りかけたい、そう思えた式であった。
スーパーサイヤジンだったHは、今日はボリュームダウンした頭をおとなしめの茶褐色にし、ネクタイをきちんと締めたダークスーツに身を包んでいたし、Mちゃんは時折涙をぬぐっていた。彼ら彼女らのお父さんお母さんたちが、何よりうれしそうだったのが、うれしい1日だった。